世代を超えて継承されるマスターピース、『ウエストサイドストーリー』
1957年からブロードウエイの舞台で始まったミュージカル「ウエストサイドストーリー」(以下WSS)、単にミュージカルとしてだけではなく、アメリカの様々なストリートカルチャーを世界中の観客に伝えてきました。1958年秋から始まる予定のイギリス公演には、私、ジョージ・チャキリスがニューヨークで行われたオーディションに合格しました。私はこの年に、ジェッツのリフ役でロンドンにてデビューしました。1960年、このロンドン公演の途中でユナイテッド・アーティストから映画版のオーディションに行くように言われ、ニューヨークとハリウッドで歌とダンスのスクリーンテスト受けました。結果として、合格の連絡をもらうと同時に今まで舞台で演じてきたリフではなく、別の役に選ばれたことでたいへんビックリしました。映画版WSSでは、シャークスのベルナルドを演じることになり、1960年8月からニューヨークの路上で始まり、1961年2月まで費やした撮影では今までの勉強してきた演技、歌、ダンスの全てを出し尽くしました。そして、1962年のゴールデングローブ賞とアカデミー賞での助演男優賞を受賞しました。またアカデミー賞に於いては、他にもリタ・モレノが助演女優賞で、作品賞や監督賞などでも合計10部門を見事に制覇しました。
また50年以上もWSSが性別や世代を超えて愛され、また数々の海外や国内のカンパニーによる舞台公演、DVDや関連出版物などが毎年のようにリニューアルされて発表される理由として、そのストーリーラインに古めかしさを全く感じさせずに、人種間のトラブルや貧富の差など普遍な問題の提起、また様々な登場人物たちの魅力的な個性だといわれます。そして数多くのトップダンサーたちの中から更に厳しく選り抜かれた最高のパフォーマーたちによる歌とダンスが一番の見所であることは間違いないでしょう。
WSS後のジョージ・チャキリス 〜愛犬サミーとの別れ
WSS後に私は、単にダンスパフォーマーとしてだけではなく、歌手としてレコードを出したり、ラスベガスのホテルでショーを行ったりもしました。俳優としては、ハリウッド、ヨーロッパ、日本での映画やテレビ、また舞台に出演しました。ヨーロッパでは「ドラキュラ」、アメリカ国内では「ジェーンエア」などの舞台、また日本でも1984年にNHKで放送されたテレビドラマ「日本の面影」で演じた小泉八雲や舞台「白蝶記 長崎の女」ではピンカートンを演じたことは今も思い出として残っています。
しかし自分の本望は、舞台でのダンスと歌の表現者であると再認識してから、1970年以降には主に舞台公演により多くの情熱を注ぎました。ただ、このジュエリーデザインを第二の職業とした理由として、「愛犬サミーの死をきっかけに、身体を使ったパフォーマーではない自分の中にある別のアーティストリに目覚めた」といつも人々には説明しています。近年まで主にヨーロッパを中心に舞台やアメリカ国内のテレビで活動していた私は、自宅と仕事場を行き来する自分の仕事のために、サミーとのコミュニケーションがおざなりになった事を大変反省しました。「彼らは人間から比べてはるかに寿命が短いのに、飼い主と出来るだけ多くの時間を一緒に居られないのは彼らにとって大変不幸せなことだ。今自分と暮らしている動物たちとは、これからは長い時間を過ごそう。なるべくは自宅にいて出来る仕事をしよう」と思い、趣味として始めたアクセサリー製作は、今では本格的な職業になったのです。
GEORGE CHAKIRIS COLLECTION
デザインのモティーフはスカラベ(コガネムシ)、ロータス(蓮の花)、ハート、不規則なペンタゴン(五角形)やフランク・ゲイリーがデザインしたLAコンサートホールからインスパイアーされた曲面を多用したもの、また連続的なGCオリジナルロゴの使ったデザインなど、全てのデザインコンセプトは少々古典的や複雑でありながら、完成品はシンプルなラインの仕上がりで、かつクリーンな感じを持っていただけるように心がけています。
また、「どうして今更ジョージ・チャキリスがアクセサリーのデザインなどを始めたのか?」と多くの方々が戸惑いを感じているかと思います。しかし常に私は、パフォーマーとしての動作の表現力は、今度はデザインすることで投影が可能と思っています。私にとってはダンサーやアクターであることと同じように、デザイナーも同じように人々に感動を与えられることが出来るアーティストだと信じています。より多くの方々が社交の場や、プライベートで『GEORGE CHAKIRIS COLLECTION』を楽しんで着けていただけるように望んでいます。どうぞ今後もこのウエブサイト同様に、私のブログサイトからも目を離さないで下さい。ありがとうございます。


