George Chakiris Blog
『モナリザの恋人』とローマ
- 2010-02-24 (水)
皆さん、ロサンゼルスからこんにちは。

東京を発ってから、はやいもので3週間が過ぎようとしています。
東宝の企画イベント「午前十時の映画館」に参加でき、素晴らしい日本訪問となったことを、いま一度この場をお借りして申し上げたいと思います。
「午前十時の映画館」を機会に、若い人たちが選りすぐられた名作を大スクリーンで観ることができるのは、本当に喜ばしいことだと感じています。
今回上映される50作品はどれも、映画産業史に残る名作ばかりですから、できるだけ多くの方に観ていただきたいですね。

東京から戻り、少し時差ぼけがありましたが、それも2~3日で平常の生活に戻れる程度のものでした。そして勿論、ロビーとマックスとは感激の再会をしました。

今日は「モナリザの恋人」という1966年のフランス/イタリア合作映画についてお話ししたいと思います。
この映画は、フランス、イタリア、ドイツそして日本など、多くの国々でそれぞれ違ったタイトルがあるようです。

この映画は、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナリザの微笑」に魅せられた青年が、パリのルーブル美術館からその名画を盗みだそうと計画する話が軸になっています。
(1911年、実際にイタリア人青年が「モナリザ」をルーブル美術館から盗み出し、名画がその後3年間行方不明になっていたという事件がありました。)
私はヴィンセントというその青年の役を演じました。
共演は、マリナ・ヴラディ。
彼女の役はというと、「モナリザ」に瓜二つの容姿のため、ヴィンセントが恋に落ちる美しいホテルのメイドというものでした。
彼女は実際にはロシア人でしたが、フランスに長く住んでいたのでフランス人女優として活躍していたようです。
現在は亡くなられているお姉さんたちも、また女優として成功していたようです。

監督は、ヌーベルバーグ派のミシェル・ドヴィル。
「めざめ」「女は夜の匂い」などの作品が日本では有名でしょうか。音楽は「ブーベの恋人」でも美しい曲を提供してくれたカルロ・ルスティチェッリです。
彼は他にも「鉄道員」「イタリア式離婚狂想曲」など多くの名曲を残しました。個人的にも、彼の美しいメロディが大好きです。


撮影は、主にローマ郊外のスタジオ内で行われましたが、イタリアの田舎町でのロケーションもありました。そう、パリでも二週間程ロケーションがあったように記憶しています。

私はこの映画を、大変楽しくやらせていただきました。
ちょっと甘いストーリーと軽いコメディタッチの作りで、それまで私が出演していた映画とは違った分野でしたので、新しい役柄に挑戦するチャンスにもなりました。
マリナとの共演も楽しかったのですが、監督のミシェル・ドヴィルがとても思いやりのある寛大な方でしたので、リラックッスした雰囲気の中で撮影が進められたのは、私にとっては幸いでした。


ローマで撮影が行われたのは夏でした。
とても気候が良く、私が滞在したヴェネト通りのエクセルシオール・ホテルも素晴らしく、ロマンチックで美しい町ローマを満喫することができました。


イタリアでの撮影は、いつも何か特別な気分になりました。
イタリア人クルーは皆明るくフレンドリーで、リラックッスした雰囲気を作ってくれましたので、仕事がしやすく、随分と彼らに助けられたようにも思います。
現場以外でも、真夏の空気の中で夕食を共にしたりして、大変楽しい撮影隊でしたし、彼らは本当に美しい映像を作り上げてくれたと思っています。
ローマでは、貴重な経験、楽しい思い出がたくさんできました。

もう2月も残すところ数日となりましたね。
本当に月日の経つのははやいものです。いつも言うことですが…皆さん、次回までお元気でお過ごしください。
再び日本へ行く機会に恵まれることを願いつつ、今日はこれで失礼します。
ごきげんよう。
ジョージ
【構成・翻訳/H・SANO】
東京での7日間
- 2010-02-10 (水)
ジョージより皆さんへ、こんにちは。たいへん寒かったですが、先週末まで滞在していた大好きな東京から戻ってきたばかりです。今回もたいへんいい思い出が出来ました。そしてこの旅がいかに素晴らしかったかを記したいのです。
まず、いつものように日本の方々の思いやりに感謝して、私が滞在中にしたことをまた日記調でお伝えしたいと思います。

1月29日金曜日
私が搭乗した全日空005便は、予定時刻より40分も早く成田新東京国際空港に到着しました。フライトは思ったよりたいへんスムーズで、快適な行程でした。いつもなら寝ることもない私も、今回のフライトではぐっすりでした。

入国審査が終わり、ゲートを抜けると出口ではクリームインターナショナル社長の石坂さんが待っていてくれました。石坂さんは本当に素晴らしいパーソナリティーの持ち主で、私は彼女の友人であることはたいへん幸せなことです。また会うことが出来てうれしいです。そして、最後の来日から2年以上も経っていましたので、この美しい日本への今回の旅も心待ちにしていたのです。

成田空港から宿泊先のホテルに移動しました。私の部屋はグランド・ハイアット東京の15階です。素晴らしい景色で、毎日北西の窓から見える雪のかかった富士山を見ることが出来ました。なんて、ラッキーなのでしょうか。私はホテルの周りを見てまわりたかったのですが、時差ボケを乗り越えるために、この日は早く眠るようにすることがベストであると思いました。ホテルは非常に快適で、サービスは最上級です。
1月30日土曜日
今日は何も仕事のスケジュールはありません。リラックスしようと思います。友人が私をホテルまで午前11時に迎えに来てくれました。コーヒーを飲みました。ハワイアン・コナは濃いですが、とても芳醇な香りです。

友人とマツオカというレストランで昼食をとりました。ここは中野の哲学堂のすぐ近くにあります。レストランの食器類はすべて漆器だったこととてもが印象的でした。もちろん味も最高でした。食後は友人たちと一緒に公園を散歩しました。世界の哲学者たちの像があり、きれいな公園でした。梅も咲いていて、白、ピンクと梅にもいろいろな種類があることに感心させられました。友人の話ではあと2か月もすると、今度は桜がきれいに咲くそうです。またいつかこの場所を訪れたいと思っています。

ホテルに戻ってから、少し休んで今夜の映画祭関係者とのディナーの支度をしました。そして私たちはイタリアン・レストランで食事しました。たいへん感慨深いディナーミーティングになりました。
明日の映画祭イベントに備えて、この日は早く寝ました。
1月31日日曜日
『午前10時の映画祭』がいままさに開始しました。私は女優の松坂慶子さんとステージに上がりました。彼女とお目にかかれてたいへん光栄でした。今度、是非彼女の映画などを見てみたいと思います。美しい外見だけではなく、お話できた彼女の雰囲気からいかに素晴らしい女優さんであるかが想像できます。六本木ヒルズの中にある映画祭会場はきれいで、サウンドシステムもたいへん良い劇場でした。大きなスクリーンで見たニュープリントの『ウエストサイド物語』は最高でした。司会進行をしてくれた襟川クロさんはいつも私が来日するたびにお手伝いしてもらえるユーモアたっぷりの人柄で、また今回会えたことに感謝します。また通訳の戸田奈津子さんのプロフェッショナルの仕事ぶりにも尊敬をしました。この二人の女性はほんとに凄いです。

映画の後はテレビや雑誌のインタビューを6本受けました。

すべてのインタビューは興味あるものだったと言い切ることができます。これらの多数のマスコミの方々と過ごし、あっという間に午後6時を過ぎていました。その晩、私は部屋で静かに夕食をとって、時差ボケを更に直すことに決めました。たいへん楽しい日でした。
2月1日月曜日
昨日同様に午前6時30分に起きてしまいました。シャワーのあと、コーヒーを飲みました。この部屋から見えるすべての景色がいかにも都会の東京らしく、自分がロスアンゼルスを遠く離れていることを再確認できます。またこの日の富士山も絶景でした。また一日が良い日になりますように。

週刊誌とFMのインタビューを午前中受け、昼食を済ませてから写真撮影のためにホテルから外出しました。カメラマンから『ウエストサイド物語』の中でダンスをしているようなポーズをお願いしますと言われて、私はそれに近いことをしました。外はたいへん肌寒かったのですが、頑張って撮影を終えることができました。貴重な体験でした。しかし、もし本当のダンスシーンを撮るとしたら、入念にウオームアップをしなければケガをしてしまいますよね。この後、また5本のインタビューを雑誌と新聞社から受けました。私はこれらの仕事を楽しみながらこなすと、またもやあっという間に時間が過ぎていたのです。

この夜も一人で静かにホテルの部屋で過ごすことにしました。
2月2日火曜日
またもや6時30分に起きてしまいました。昨晩は雪が降り積もりました!!! 雪が車や建物の屋根を覆っています。美しい“ホワイト東京”にようこそ!そして富士山も昨日より降雪が多く見られます。

この日の最初の仕事は『おすぎのシネパラ』からのインタビューでした。そして、この後すぐにテレビ朝日での『徹子の部屋』の収録のために移動しました。黒柳徹子さん司会の番組に招かれることはたいへん光栄なことです。黒柳さんはたいへん聡明でエレガントな方です。今日も通訳を担当してくださる戸田さんのお二人に囲まれて終始賑やかに収録を終えることができました。優美さも持ち合わせた2人の美人に囲まれて幸せでした。お二人を賞賛せざるを得ません。私はどうにかこのお二人への感謝をしようと、心からの贈り物として私のジュエリーコレクションからネックレスを贈りました。お二人の微笑を見て私はたいへん満足であったと同時に、これらのネックレスをいろいろなところで使ってもらえるように望みました。なお、本放送は2月16日だそうです。

日本に於ける私の最後の仕事は、ラジオ番組の生放送でした。私たちは六本木から渋谷へ移動しました。場所は東京FMのスペイン坂スタジオです。多くの人々は、私に会いに来てくれました。とても感謝しています。

すべてのスケジュールを終えました。現在、私はリラックスを感じています。この3日は、とても速く過ぎっていったように感じます。
2月3日水曜日
この日の午後はまったく予定がありませんでしたので、三越劇場に行きました。石井ふく子さんの舞台『初蕾』が初日でした。当然劇中のセリフはすべて日本語、ですが感情的な場面や仕草で何を演じているかは理解できました。そしてまた石井さんに会うことができたのです。石井さんはいつものようにお元気でした。彼女にこうして再びお会いできることはまた光栄です。最初の出会いは1979年で、私が出演した東京宝塚劇場の舞台で演出をしてもらったときです。石井さんは偉大な演出家です。

ホテルの部屋に戻って少しリラックスしてから、ここから近い中国飯店でのパーティーに備えました。パーティーは数多くの方々が集まってくれました。みんな懐かしい顔ばかりでした。貴重な時間を過ごすことができました。

2月4日木曜日
LAに戻る日です。ああ、なんて感動的な時間を過ごせたのでしょうか。時間が過ぎ去るのはほんとうに早いものです。石坂社長と友人がホテルから成田空港まで送ってくれました。空港に到着すると少しまだ雪が残っていました。

『午前10時の映画祭』に招いて頂いた東宝株式会社に感謝いたします。この映画祭に関して、それはとても素晴らしい考えです。そして私はすべての人達に、大画面上で50本の選ばれた映画を可能である限り見てもらえるように喚起したいと思います。これらはすべて素晴らしい映画ですし、現在のフィルムメーカーたちの多くに影響を与えた映画をここで見ることが出来るのは、特に今の若い世代にとって大きなチャンスなのです。私はすべての方々が再び感動することを確信しています。偉大な監督たち、俳優、ストーリー、そしてこの機会に感謝したいです。是非観に行って、楽しんで、そして50本の映画に感激してください。

私は今度いつ再び日本に戻れるかは分かりませんが、早ければ早いほどよいと思っています!私は、本当に日本が好きです。そして、私はあなたに最高の賛辞をお送りします。そして今回また私の日本の友人たちに出会えて、どれくらい感謝しているかをお伝えもしたいのです。
それでは、また。
ジョージ
【翻訳 YK】
2010年の夜明け
- 2010-01-18 (月)
新年あけましておめでとうございます。新しい年のはじめに、皆さんにとって素晴らしい一年となりますようお祈りしています。

皆さんは、元旦をどのように迎えられましたか? 私は自宅でロビーとマックスと一緒に心静かに新年を迎えよう、と決めていましたので外出はしませんでした。にぎやかなパーティ会場で新年を祝うより、ゆっくり自宅で過ごすことを選んで良かったと思っています。

今日は「キプロス脱出作戦」(原題『McGuire, Go Home!』【米】、『The High Bright Sun』【英】)という1964年の英国映画についてお話ししたいと思います。監督は、1958年の映画「二都物語」などで有名なラルフ・トーマス氏です。

共演はその「二都物語」にも出演しているダーク・ボガードと、スーザン・ストラスバーグ。彼女の父親は、ニューヨークの「アクターズ・スタジオ」の創設者として著名なリー・ストラスバーグ氏です。その「アクターズ・スタジオ」では、マーロン・ブランドやマリリン・モンローといった多くの有名な俳優が、ストラスバーグ氏に師事したことでも知られていると思います。

1950年代にキプロスに駐留した英国軍隊を描いたこの映画で、ダーク・ボガードは、考古学専攻のアメリカ人学生を追跡する英国軍人を演じています。私はハジオスというそのアメリカ人学生の役を演じました。狂信的な愛国主義者で、キプロス解放のために戦うテロリストのリーダーという役どころでした。

政治的な理由から、キプロス島での撮影は許可されなかったため、キプロスによく似たイタリア南部の町、マンフレドーニアとモンテ・サンタンジェロで撮影が行われることになりました。

共演者のダークは才能あふれる俳優で評判も良い人でしたが、そればかりではなく、役づくりも周到で撮影に入るとその集中力は大変なものでした。彼の俳優としてのキャリアは豊富で、ヨーロッパの監督の作品にも何本か出演しています。
中でもルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」は、日本でも有名な映画ですね。もう一人の共演者スーザンは、ニューヨークで舞台の経験もある素晴らしい女優で、チャーミングな女性でした。

ふたりの素晴らしい俳優と共演でき、嬉しいという気持ちとともに充実感のようなものを感じたことを覚えています。また撮影の合間には、和やかなムードでお互い接することができたのも、ありがたいことでした。

イタリアでの撮影が終わると、私たちはロンドンへと戻りました。そんなある日曜日のこと、ダークがロンドン郊外のサーリーという町にある自宅に私たちを招待してくれたのです。とても印象的だったのは、居間のピアノの上にエヴァ・ガードナーの写真が飾られていたことでした。
女優として人間として、彼女を尊敬していたのでしょう。しかしもっと印象的だったのは、彼女のその一枚の写真以外何も飾られていなかったことです。彼自身の写真さえ、いっさい見当たりませんでした。そんな彼のセンスの良さというか、生き方のようなものに尊敬の念を覚えたことを記憶しています。

前回少しお話ししましたが、今月の31日に六本木で開催される『午前10時の映画祭』の特別上映会に出席するため、いよいよ日本へ行くことが決まりました。
「ウエストサイドストーリー」の上映時に、出来るだけ多くの方々にお会いできることを楽しみにしています。また2月初旬には帰国する短期間の滞在予定になっていますが、東京にいる間は多くのファンの皆様や友人たちと会えますように、と期待もしています。

それでは、ごきげんよう。
ジョージ
【構成/翻訳 H・SANO】
2009から2010へ
- 2009-12-27 (日)
クリスマスも終わり,いよいよ今年も残すところあとわずかとなりました。そこで、今年の出来事を振り返ってみたいと思います。
ロビーとマックスもそばに来て、私がブログを書くのを見ています。

まず、今年お会いした全ての方に,お礼を申し上げたいと思います。そして来年もまた,新しい友人ができることを楽しみにしています。
2009年という年は、本当に様々なことがありました。

まずは、1月15日、US Airways1549便がラガーディア空港を飛び立って間もなくして、ハドソン川に不時着した事故は皆さんもご記憶にあるでしょう。155名の乗員乗客は、全員無事に救出されて本当に良かったです。
その一週間後の1月22日、バラク・オバマ氏が第44代アメリカ大統領に就任しました。初のアフリカ系アメリカ人の大統領です。

そして、IMF(国際通貨基金)が、2009年の世界経済成長率はわずか0.5%程度だろうという展望を発表しました。これは戦後最低の成長率だそうです。
3月にはNASAのケプラー計画が実施され、フロリダのケープ・カナベラル空軍基地から宇宙光度計が打ち上げられました。銀河系の太陽系外惑星を探索するのが目的です。
4月5日、オバマ大統領がプラハで、「米国が核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束します」と演説し、拍手を浴びました。

そして6月25日、キング・オブ・ポップス、マイケル・ジャクソンが亡くなり、全世界が深い悲しみに包まれました。その反響で、コンピュータの大手ウェブサイト数社に不具合が生じたということです。一度にあまりに多くの人がアクセスした結果(その数はインターネット史上、記録的なもの)サーバーに負荷がかかりすぎたことが原因のようです。同じ日、ブロンドの美女ファラ・フォーセット・メジャースも、長い闘病の末,天国に召されました。
7月22日、アジア諸国と太平洋上で確認できた皆既日食は、時間にして6分38秒83、21世紀で最も長い皆既日食でした。そして人類史上において、最も広範囲に渡って観測できた皆既日食でもありました。

8月4日、北朝鮮の金日成総書記が、2名のアメリカ人ジャーナリストを解放しました。二人は不法侵入の罪で逮捕され、投獄されていましたが、元アメリカ大統領クリントン氏が北朝鮮へ出向いて金正日総書記と面会し、問題解決に尽力しました。
9月16日、日本の第93代総理大臣に、鳩山由起夫氏が選出されました。
10月2日、世界オリンピック協会は、2016年夏季オリンピックの開催地に、ブラジルのリオデジャネイロを決定しました。

アラブ首長国連邦のドバイが、大規模な改修工事と数々のプロジェクト開発、そして2000年代後半の経済危機の後処理として、債務の延長を申し出たため、世界株式市場はいっきに下落してしまいました。11月のことでした。
12月17日、アメリカで最も愛され、そして尊敬されている女優の一人、ジェニファー・ジョーンズが90才の生涯の幕を閉じました。日本でも有名な映画「慕情」での主演女優だと言えば、ご記憶の方も多いかと思います。

この一年を振り返り、思いつくままに書いてみましたが、2009年に起こった出来事のほんの一部にすぎないようです。本当に多くのことが起こり、多くのことを体験した年でした。楽しいことも悲しいことも。私たちは、過去に敬意を払い、良い出来事には感謝をすべきではないでしょうか?

現時点ではまだ確実ではありませんが、来年には日本へ行くチャンスに恵まれるようです。これは、私にとってはビッグ・ニュースですが、皆さんにとってもそうであることを願っています。
来る2010年の経済状態が、少しでも好転しますように。そして、日本でお会いできることを楽しみにしています。
ロビーとマックス、そして私から「2010年が素晴らしい年になりますように!」

では、ごきげんよう。
ジョージ
【構成&翻訳/H・SANO】
『663爆撃隊』と私
- 2009-12-15 (火)
皆さん、ロサンゼルスからこんにちは。

さて今日は、『663爆撃隊』という映画について少しお話ししたいと思います。1964年の英国映画で、第二次世界大戦中に、英雄的な活躍をした架空の英国戦闘爆撃隊を描いた作品です。
監督はウォルター・グローマン、制作はミリッシュ・スタジオのルイス・ラクミル、そして配給はユナイテッド・アーチストです。主演はクリフ・ロバートソン、そしてマリア・ペルシーと私。
フレデリック・E・スミスの同名小説を映画化したもので、小説自体では、実在の英国空軍が遂行した特務飛行に題材を取っています。

大戦中最も人気の高かった英国戦闘機といえば、「スピットファイア」と「モスキート」の2機種で、この「モスキート」が、映画で使用されたものです。
この機が、ドイツ軍機ルードウィヒとの戦闘をはじめ、偵察機、爆撃機としてもめざましい活躍をし、RAF(王室空軍)を優勢に導いたということです。「スピットファイア」のエンジンは一基で、パイロットも一人でしたが、「モスキート」はエンジンを二基搭載し、パイロットも二人でした。

小型ながらも高い性能と多様性を持った「モスキート」は、戦闘機マニアの間では、伝説の機種となっています。
実は私自身も「モスキート」の大ファンで、実際に搭乗した時には大変興奮したのを覚えています。

映画の中の飛行シーンは大変スリリングで、パイロットの中には、その素晴らしい飛行シーンを遂行するために、大変な危険を冒した者も居たようです。そして何といってもロン・グッドウィンによる音楽が、その危険な飛行シーンの緊張感をさらに高め、素晴らしい効果を生み出しているといえるでしょう。

当時の私は、ミリッシュ・スタジオとの契約がまだ残っていたため、この映画出演は、どちらかというと契約履行のための出演ということでした。主役のグラント中佐を演じたクリフ・ロバートソンは好人物で、実生活でもパイロットとしての経験がありました。
彼は、「モスキート」を購入したいと考えていたようですが、特殊な機種であり、英国史上でも貴重な存在であるため、残念ながら売りに出されるということはなかったようです。

マリア・ペルシーは私の妹役を演じました。彼女とは、毎日のように昼食を共にしました。その際には、テーブルに置かれたオリーブ・オイルとビネガーそしてお砂糖を使って、美味しいドレッシングを作ってくれるなど、美しいだけではなく気さくで感じの良い女優さんでした。
私たちの出演シーンはそれほど多くはなく、やはり「モスキート」の戦闘シーンが、映画の主役というか中心であったようです。

素晴らしい共演者に恵まれただけではなく、スタッフが全員英国人という中での仕事も、大変貴重な体験になりました。

ロサンゼルスは、このところ大変寒い日が続いていますが、日本はいかがですか?もう皆さんもご存知かと思いますが、私は寒いのが大の苦手なので、暖かい季節が訪れることを心待ちにしています。
春までには、まだほど遠いようですが…みなさん、暖かくして過ごしましょう。
ではまた、ごきげんよう。
ジョージ
【構成&翻訳/H・SANO】
グレートTVショー in 70's PART.1「パートリッジ・ファミリー」編
- 2009-11-30 (月)
ロスアンゼルスから、再度こんにちは。最近のこちらのお天気は、たいへん過ごし易いものでした。
そんなわけで、ロビーとマックスはとても満足な毎日です。私もまた、そんな彼らのやんちゃぶりを見るのが楽しみなのです。

こちらのニュースでも先々週、オバマ大統領が日本の首相に会うために来日したことを報道していました。
世界の政治のリーダーは有意義な会談を行い、また行動することを我々全てが望んでいることを知るはずです。

70年代の半ばにたいへん成功したTVシリーズの数々を憶えているでしょうか?なかでも「パートリッジ・ファミリー」は凄い人気でした。
そのTVシリーズで長男役のデビッド・キャシディは当時のスーパーティーンズアイドルでした。その当時の彼の人気は今では考えられないくらい高く、どこに行っても彼のポスターや雑誌なども彼の記事を見ない日は無かったものです。またデヴィッドはTVシリーズが休みに入ると世界中を旅行して、コンサートをしました。その音楽活動は現在も続いているのです。

そしてシャーリー・ジョーンズ(彼女は美しくて魅力的な母親役でした)は長い間、私の友人でもあります。私たちは、かつて同じエージェントに属していました。
シャーリーは私が知っている最も美しい人々のうちの1人で、また親友でもあります。彼女はビッグベア(LA中心部から車で3時間くらいの場所)に大きな別荘を持っていて、LAから逃げ出したいときはいつでも、私が静かに過ごすために週末の間そこを使用させてくれました。彼女は、そんな気風の良い女性です。

私は第4シーズンの最後のエピソード、この番組自体の最終話にゲスト出演しました。私の役は、シャーリーのボーイフレンドでアメリカ海軍のパイロットを演じることになりました。
シャーリーがもともとそのような親友であったために、私はこのTV番組に取り組むことは家族と共に働くような感じだったことを憶えています。私は彼女の家族と友人がいる彼女の家に行くことがいつも大変楽しみであり、また何回もそこへ訪れました。

デヴィッドは今でもTVやコンサート活動に精力的に活動していると聞いています。何年か前のシャーリーの誕生日パーティーで、久しぶりにデヴィッドに会うことが出来ました。そのときまで、随分と長い間彼とはご無沙汰していたので、たいへん嬉しかったことを憶えています。
そして、パーティーは本当に素晴らしいものでした。シャーリーの実の息子たち、ショーンとパトリックも当然そこにいました。少し複雑な話なのですが、デヴィッドの実の父親であるジャック・キャシディの伴侶であったシャーリーですが、彼女はデヴィッドの実の母親ではありません。
デヴィッドの実母はジャックの最初の妻、イブリン・ワードです。ですから、シャーリーはデヴィッドにとって実生活では継母なのですが、実際に実生活に於いても彼らは本当に仲の良い親子でした。彼らはいつもお互いを本当に気遣いあっていました。
シャーリーは「パートリッジ・ファミリー」の前には多くの映画に出演して、1960年製作の「エルマー・ガントリー 魅せられた男」では翌年のアカデミー賞を獲得しました。そして、1962年のアカデミー賞では私へのプレゼンターだったのです。今考えると、なんて狭い世間で縁のある関係だったのでしょうね。
私はシャーリーが友人であることを誇りとしています。そして彼女は自分の息子たちには偉大な母なのです。

そろそろロビーとマックスを連れて夕方の散歩の時間です。暗くなる前に外に出ないといけません。
今日は妹のアシ―ナの家で食事を済ませました。今日も素晴らしい日を過ごしました。私は兄弟姉妹を愛しています。そして、我々はいつもとてもいい関係です。私は、そんな素敵で愛すべき兄弟姉妹を持ったことをたいへんに幸せに思います。

素晴らしい週末を過ごしてください、そして皆さんにベストウイッシュをお送りします。
それでは、さよなら。
ジョージ
パートリッジ・ファミリー第4シーズンDVD *なお、こちらのDVDはアメリカ製で、日本国内で再生可能なDVDプレイヤーでは見ることが出来ない場合があります。事前にAMAZONまでお問い合わせ下さい。
This Is It
- 2009-11-17 (火)
皆さん こんにちは、

11月に入ってから、こちらロサンゼルスでは気持ちのよい秋晴れの日が続いています。
ただ、夏時間が終わったとたんに、日が暮れるのが急にはやくなってしまったので。実際はまだ5時なのに7時頃のような感覚に陥ってしまいます。
これも、間もなくなれると思いますが。

ところで、マイケル・ジャクソンの映画"This Is It“はもうご覧になりましたか?
10月28日に世界中で同時公開されたようですから、きっとご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
112分のこの映画では、ロンドン公演のためのリハーサル風景を中心に、亡くなる前日の彼の様子を含めた大変貴重な映像を見ることができます。

私は常々、リハーサル中の俳優なり歌手なりのパフォーマンスに、大変興味深いものを感じています。
時として、リハーサルの方が本番よりも面白く感じることがあるくらいです。良い作品を創り出すための「決断」が、リハーサルの過程で見られることがその理由のひとつだと思います。
そしてこの"This Is It"の中では、マイケル・ジャクソンと振付師のケニー・オルテガ(彼はこの映画の制作者および監督でもあります)との「決断」を見ることができます。
才能あふれる二人のアーチストが互いに尊敬し合いながら、共にクリエイティブな作業を進めてゆく様子は、感動的でもあります。

また、エネルギッシュで熱意に溢れるダンサーたちにも注目すべきでしょう。マイケル・ジャクソンと一緒のステージに立つということに、大きな期待と夢を抱いている多くのダンサーが、一同にオーディションを受けている様子はまさに圧巻です。
映画の終盤で、マイケルが「ビリー・ジーン」を歌い踊るシーンがありますが、彼のような動きのできるダンサーを私は未だかつて見たことがありません。とにかくその動作はユニークで美しく、見る者を完全に釘付けにしてしまう力があります。

そして、このリハーサル風景が映像で残されていたことに感謝したい気持ちでいっぱいです。マイケルがひとつのコンサートを創り上げるまでの過程と葛藤、そして計り知れない彼の想像力を垣間見る機会を与えてくれたのですから。
共に仕事をする人たちへの彼の接し方も愛情溢れるものでした。ドキュメンタリー映画としてだけではなく、エンターテイメント映画としても楽しめる作品だと思いますので、是非ご覧になられてはいかがでしょうか。

では、今日はこの辺で失礼します。
ごきげんよう。
ジョージ
【構成/翻訳 H・SANO】